なぜならば、
‟商店街”は日本中いたるところにあり、「まちの顔」と言うべき存在で、
「商店街の印象でそのまちの印象が決まる」と言っても過言ではありません!
そして、
戦後日本の「豊かな社会」を実現してきたのは、
間違いなく‟商店街”あってのことなのです。
しかし、
それほど日本のまちや
地域の人々の生活に欠かすことのできなかった‟商店街”も
今やそのほとんどが衰退しており、
シャッター通りと化しているものも少なくはありません。
今、私たちにとって、そして地域にとって、
「商店街」は必要なものなのでしょうか?
そして今、商店街の何が求められているのでしょうか?
今回は現代においての商店街の存在意義について解説していきます!
目次
滅びゆく“まちの商店街”
日本のまちのいたるところに商店街はあり、
まさに日本は‟商店街大国”と言うことができます。
特に、戦後から1970年代前半までは商店街の全盛期でした。
鉄道やバスを中心とした交通網のなかで、
日々の暮らしに必要なものは最寄りの商店街で一通り揃ううえに、
繁華街へ足を伸ばせば、
そこには百貨店などの大型店だけではなく、
アーケードに覆われた街路に、
規模の小さな専門店が軒を連ねて、
全体として商店街を形作っているような景色を見ることができました。
しかし、その後、
1980年代頃から各地の商店街の衰退が加速化していきます。
周知の通り、
乗用車の普及と幹線道路網の整備によって、
大型店が続々と郊外のロードサイドに出店し、
駅前の商店街をはじめとした中心市街地とは、
立地面で隔絶を深めていきました。
加えて、小売革新の進展によって、
個人が経営するまちの小売商店と、
大企業が組織的に展開する小売店舗との間で、
扱う商品の価格や品質にどんどん格差が広がっていきました。
市場の細やかな変化や地域差といった、
従来であれば個人商店が強みとした部分についても、
情報技術革新の恩恵によって、
大企業が組織的に対応できるようになりました。
多くの個人商店からなる
商店街という買い物の場は、ますます魅力の乏しいもの
になっていったのです。
このように、多くの商店街が、
立地の変化を伴う小売革新の進展から取り残された結果、
今では、地方都市を中心として、
シャッター街と化している例が少なくありません。
実は・・・多くの人が“商店街の衰退”を憂いでいる
商店街はどんどんと衰退していく一方で、
そうした現状を憂う声は本当によく聞かれますし、
商店街の賑わいを取り戻そうとする取り組みも各地で盛んに行われています。
このまま商店街が寂れてしまうことには、
多くの人がどこかに抵抗を感じており、
なにかもやもやした感覚を抱いているように見受けられます。
実際に、
各地で地元商店街について聞き込み調査を行うと、
さびれゆく商店街の現状を憂うもので必ず溢れかえります。
- 子どものころによく買い物をていた商店街に、
大人になって久々に行ってみると、
コンビニとパチンコ屋以外は活気が無くなっていて残念だった。 - 最近出来たショッピングモールの影響で、
地元の商店街がすっかり廃れてしまった。 - 祭りやイベントのときは大勢の人で賑わうのに、
それ以外の日は多くの店がシャッターを閉じている。
どうしてこうなったのか、とても悲しい。 - 商店街の雰囲気が好きなので、ぜひとも残してほしい。
- 個人的に商店街は好きなので、盛り上がり直してくれると嬉しい。
このように、
商店街が寂れていくことに対しては、
多くの人から「残念」「悲しい」「さみしい」といった声が寄せられますし、
商店街を「好き」だと言う人も数多くいます。
また「商店街はこのまま無くなってしまってもよいか?」
という問いを発すると、
「良くない」「嫌だ」「さみしい」という声が多く挙がり、
「無くなっても構わない」と答える人は、ごく少数にとどまります。
このように多くの人は、
「地元の商店街が衰退する」ことを残念なことと感じており、
「どうにかしたい!」「活気を取り戻してほしい!」と思っているのです。
だけど、‟商店街ではほとんど買い物をしない”という現実!
先ほどのように、
多くの人が「商店街は無くなってほしくない」と感じている一方で、
「商店街で買い物をしているか?買い物をしたいと思うか?」
という問いかけをすると、
驚くことにほとんどの人からが「していない」「したいとは思わない」
という答えが返ってきます。
次のようなコメントからも、
商店街が買い物の場としては、十分に支持されていない様子がうかがえます。
- 商店街の雰囲気は好きだけど、実際に買い物をすることはあまりない。
- 大規模なショッピングモールは魅力あるし、自分もよく行くけど、
あたたかい感じがするのは商店街のほう。 - 商店街にある小さなお店の人は優しいから好き。
だけど地元はショッピングモールに生まれ変わってしまった。
良い面もあるけどさみしい。 - 祭りのときなどは提灯を下げたりと行事に乗っかっていた。
近くに神社もあり、人通りは常にそこそこあったイメージ。
ただ、モノが売れるかは別の話で、
正直売れているのは見たことがないというくらいの感じだった。
要するに、
「消費者としてモノを買う立場から、いわば『消費者の利益』という観点に照らすと、
商店街で買い物をするという選択肢は選ばない。
けれども、
街路の賑わいやコミュニケーションの場、地域コミュニティの担い手という面からは、
商店街の存続を強く願っている。」
これが多くの人の中で共通していることなのです。
このようなことから「今、地域にとって商店街は必要されているのか?」
という問いに対する答えの一つとして考えられるのは、
「商店街は‟買い物をする場所”という役割以上に
期待されている要素がある」
ということなのです。
衰退している商店街の再生を考えるとき、このことは決して忘れてはいけません!
「買い物の場」だけでない商店街の存在価値を見つける
「商店街はこのまま無くなってもよいのか?」という問いかけに、
ほとんどそこで買い物をしない人でさえ、
「よくない」「いやだ」「さびしい」と答えるのは、
小売商業のなかに、
単なるモノを売り買い以外の何かを見出しているからに他なりません。
すでに見た通り、
賑わい、コミュニケーション、コミュニティといった側面もあるでしょうし、
「あたたかい感じがするのは商店街」「小さなお店の人とか優しい」
というコメントからは、
消費者という立場を超えて、
ひとりの人間として商店街に向き合っている様子が伝わってきます。
例えば、以下のようなものです。
- いつも顔を合わせる店主と何気ない世間話をする
- 「いつもと様子が違うね」と言われ、そこから人生相談が始まる。
- おススメの商品や美味しく食べられる調理方法を教えてもらう。
- おまけをもらったり、割引をしてくれたりする。
こういったことは
コンビニやスーパー、ショッピングモールではまず起こり得ません。
顧客と販売者という関係を超えた『人と人とのコミュニケーション』や、
そこに行けばいつも同じ人が変わらずにいてくれるという『安心感』や、
マニュアル化されていない接客から生まれる『偶発的な面白さや喜び』みたいなものが
商店街の魅力として挙げられるのでしょう。
ちなみに、「偶発的な面白さや喜び」のことを『セレンディピティ』と言い、
これが発生するまちが「面白いまち」「楽しいまち」「住み心地の良いまち」
として認識される大きな条件のひとつになります。
そして、私の知る限り、
商店街を通学路として利用しているという子どもたちはとても多いです。
商店街で特に買い物をする用事がない子どもたちでさえ、
わざわざ遠回りになってでも商店街を通って登下校しています。
そこにはやはり‟買い物の場”を超えた商店街の魅力があるのでしょう。
ここには、「消費者の利益」という価値観の前に、
他の諸価値が見えにくくなっているいまを、
解きほぐす手がかりがあるように思えます。
商品の価値や品質さえ満足できれば、
どこでどう買い物をしようが構わないはずなのに、
商店街がさびれゆく状況には心がざわめくという感覚。
この感覚が問いかけているものは、いったい何なのでしょうか?
現在に必要な商店街のあるべき姿とは?
地域の商店街が全盛期だった1980年代ごろまでは、
地域の消費活動を担う場として、地元の人に商店街が頻繁に利用されていました。
とくに食料品や日用品といった「最寄り品」を日常的に買いに行く場所として、
地域には欠かすことのできない存在となっていました。
ところが、
地域住民のライフスタイルが変化し、
モータリーゼーションの進展、
コンビニやスーパー、郊外に立地するショッピングセンターの登場、
さらにはインターネットショッピングの拡大によって、
地元の商店街は徐々に活気を失っていきました。
このような状況では、
もはや地元の商店街は「単に買い物をするだけの場所」として
生き残っていくことは非常に困難です。
しかし、
多くの人は商店街が衰退していくことを残念に思っており、
商店街が地域にとって必要な存在であることには間違いありません。
では、人々は一体地元の商店街に何を求めているのでしょうか?
そして、再び商店街に訪れてもらうためには何が必要なのでしょうか?
そのために必要なことは
「①他の小売業との差別化を図ること」
「②まちそのものを楽しむ場所にすること」の2点が挙げられます。
①他の小売業との差別化を図る
先ほど述べた通り、
「単なる買い物だけをする場所」として
商店街がコンビニ、スーパー、ショッピングセンターなどの
他の小売店舗の争っていてはとても勝ち目がありません。
同じような物を買うためなら、
「できるだけ便利な場所で、できるだけ安く買いたい」と誰もが思うからです。
「利便性」や「安さ」で勝負するには、
個人事業主の集まりである商店街ではあまりにも不利になります。
そのため、
商店街は「単なる買い物をするだけの場所」から脱却していく必要があります。
具体的には、
飲食やレジャーを楽しんだり、
宿泊ができたり、
人の集まる場所があったり、
住める場所があったり、
そういった様々な機能が複合している場所にする必要があります。
たとえば、
魚屋や八百屋などが立ち並んでいた商店街の空き店舗に
以下のような機能の店舗をつくることが有効と考えられています。
- 地元の食材を使った料理が楽しめる飲食店
- 買い物客が落ち着いた場所でゆっくり過ごせるブックカフェ
- 観光客が安価で泊まれるオシャレなゲストハウス
- 若者が日々の生活を楽しめるシェアハウス
- 家の近所でテレワークができるコワーキングスペース
- 子どもが預けられる託児所や保育園
- 地元の作家やアーティストの作品を展示したギャラリー
- 店主がこだわって厳選した商品が揃ったライフスタイルショップ
このような店舗や施設をつくることで、
買い物をする人だけでなく、あらゆる層の人が訪れる場所にする必要があります。
そうすることで、
郊外のショッピングモールと差別化を図ることができ、
ますます「地域にとって必要な場所」「地元に愛される場所」
になっていくのです!
②まちそのものを楽しむ場所にする
郊外のショッピングモールと差別化を図ることに加えて、
重要なことが「まちそのものを楽しむ場所にする」ということです。
商店街はそのまちの中心市街地にあることが多く、
「地域の顔」ともいえる存在です。
そして、中心市街地にはそのまちの歴史や文化が詰まっています。
その歴史や文化を大切にしながら、商店街を訪れることで、
「そのまちそのものを楽しめる」ことがとても重要な視点なのです。
例えば以下のようなものです。
- 歴史のある建物をリノベーションして、新しい店舗を誘致する
- 地域の畜産品や旬なものが手に入る
- 地元のまちの情報を得るための拠点がある
- 地元にいるアーティストや作家を知ることができる
- 地域の歴史に触れ体感することができる
- 工芸品や民芸品の魅力を知ることができる
それだけではなく、真ん中をたくさんの車が往来したり、
歩道が狭かったりして、歩きづらい商店街もよく見かけます。
訪問者がストレスなく歩ける空間をつくることも、
「まちそのものを楽しむ場所」としては必要なことになります。
【結論】商店街は「地域にとって欠かせない場所」である
人によっては、地域に商店街がなくても
「Amazon」や「楽天市場」のようなインターネット空間や
コンビニやショッピングモールで買い物をすれば、
それで済むのではないかと思っている人もいると思います。
しかし、
地域社会の消費空間は、
決して経済的合理性だけで判断されるべきではありません。
今まで見てきたように、
商店街は地域のコミュニケーションの場としての役割を期待されており、
また地域に安心感を与える存在であり、
地域を象徴する場所であったりするわけなのです。
そして何より
地域に住む多くの方が、商店街の必要性を感じています。
また、商店街は地域の「社会的共通資本」としても重要な役割があります。
たとえば、2011年3月11日に起きた東日本大震災でも、
モノ不足を加速させたのは、あまりにも大規模化しすぎた消費システムでした。
ショッピングモールなどの大規模消費システムや
「Amazon」「楽天市場」のようなバーチャルな空間だけでは、
地域社会の生活を支えることはできないのです。
そして、ここまで広がったコンビニの評価も難しいところです。
たしかにその利便性は評価すべきですが、
一方でそれが多くの事業者を死に至らしめる商業フォーマットであること
には十二分に注意する必要があります。
そのため、地域の商店街は「単なる買い物だけをする場所」ではなく、
住民と地域を繋ぐ場所として、
サードプレイスをつくっていくことが求められているのです!
あなたは、自分が住んでいるまちで本当に「やりたいこと」をできていますか?
↓↓↓やりたいことを実現させる具体的な方法は以下↓↓↓
日本のまちのことを考えたとき、
‟商店街”のことは外すことができないでしょう!