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古民家、社寺、橋・・・どうして、まちには「歴史的建造物」が必要なのか?保存や活用の方法は?

日本中のあらゆるまちで、歴史のある建築や橋などの古い構造物が大切にされています。

ところで、
まちにとってなぜ「歴史的な建造物」が必要とされているのでしょうか?

そして、
そのような「歴史的建造物」は、まちにどのような影響を与えてくれるのでしょうか?

ちゃぼけん

今回は、そんな「まちと歴史的建造物の関係」について考えたいと思います。

歴史的建造物とは何か?

まちなかにある建物や橋などで、特に歴史的価値が高いとされ、まちの文化を後世に伝えているものは「歴史的建造物」と呼ばれています。

日本のまちには、古民家や町家などの木造建築物や、鉄筋コンクリート造やレンガ造の西洋建築や近代建築がたくさんあります。
また寺社仏閣や、古くからある橋なども「歴史的建造物」と言うことができます。

「歴史的建造物」はそのまちの景観を形成しており、
そのまちらしさを創り出しているものなのです。

戦後から日本のまちは画一的になっていきている

20世紀後半は歴史的建造物が次々とまちの中から消えていく状況になっていました。

それは戦後、
日本が高度経済成長期を迎え、都市が急速に発展していったためです。

都市の発展に伴い、全国の農村部からまちへ多くの人が集まり、どんどんと開発が進み、大きくなっていきました。

全国の都市は、まちの周辺部に拡張することで発展し、大量に流入する人口が、郊外に広がったニュータウンに居住しました。

急増する都市人口に対し、住居や水道、電気、道路、公園、公共交通などの生活インフラに対する需要は増加を続け、
これらの量的拡大に応えることが、この時代の「まちづくり」の主要な役割でした。

そのおかげで、まちはとても便利になり、増加する人口で賑わい、経済や都市活動は活発化していきました。

しかし、
開発行為に対して取られた全国一律の開発許可や、開発事業の手法によって、似通った風景の広がる地域が乱発しました。

さらに、都市の郊外化の進展と同時に起こった都心の空洞化は、
近隣住民で構成する古くからのコミュニティを衰退させ、
人口の高齢化と相まって人々の交流に支えられてきた歴史的遺産、祭礼行事や風習などまちの文化の維持・継承を困難にしています。

まちに歴史的建造物が大切にされる理由

今なお、歴史的建造物は年代を重ねるにつれどんどんと老朽化していき、「保存することが大変」などの理由から、まちなかから少しづつ消えつつあります。

しかし、歴史のある古い建物や橋などは、まちにとって欠かせないものなのです。

特に、歴史的建造物が大切にされる理由は以下の3つあります。

  1. 地域固有の文化や町並みを守る
  2. 快適に暮らせるまちには、歴史的環境が欠かせない
  3. 日本のまちは「歴史」が残りにくい

ひとつずつ見ていきましょう!

①地域固有の文化や町並みを守る

戦後、日本のまちなみが画一化していくに従い、
全国で歴史的建造物を保存・継承していこうとする市民運動が相次いで起こりました。

それは、まさに地域住民自らで地域固有の文化や町並みを守ろうとする動きだったのです。

本来、日本には地域固有の文化や町並みがある

日本には春夏秋冬いろんな季節があり、四季によって環境が大きく変わります。

また、地域によって風土が大きく異なり、
雪深い地域もあれば、
年中海風が強く吹く場所
晴れの日が多く比較的温暖な場所
寒暖差が激しい場所など、
本当に多種多様です。

そして、様々な風土をもつわが国には、
地域固有の環境や生活に合わせた集落・町並みがあります。

それらは長い歴史の中で、そこに暮らす地域の人々の工夫と努力によって培われた
まさに‟文化遺産”と呼べるものです。

白川郷や古都・京都、沖縄などは世界遺産に登録されておりとても有名ですが、
これら以外にも、日本各地では素晴らしい文化や歴史、風景が存在しているのです。

歴史的建造物が、まちの個性をつくっている

まちの個性を形作っているものは様々あります。

郷土料理、工芸品や民芸品、祭りなどの伝統行事など、
様々なものがそのまち固有の歴史や文化によって育まれてきたものです。

その中でも特に“そのまちらしさ”を表しているものが、
古くからある建築や建造物なのです。

歴史的建造物は、そのまちの風土やその時代を反映しているものであり、
そのとき、その場所でしか創られなかったとても希少なものです。

写真を見て「ここは○○だ!」とわかったり、
ふるさとのまちに帰ってきて「なんか落ち着くなー」と思ったり、
観光に行って非日常を感じられたりするのも、
そのまち特有の町並みがそこにあるからなのです!

町並みはそのまちがどのように発展したかによっても変わってきます。

城下町として発展したまち
工業都市として発展したまち
交通の拠点として発展したまち
それぞれのまちの特徴や発展した時代背景によって、
建築物、道路の構成や道幅、橋などの工作物の特徴が大きく変わってくるのです。

観光客も集まるようになる

まちの個性がある場所は、多くの人を惹きるける魅力があります。

そのため、歴史的な町並みが残っている場所には、観光客がたくさん集まってきます

これはそれほど日本全国で
歴史を感じることができる町並みがあまり残っていない
ということの裏返しでもあります。

歴史的建造物をうまく活用しながら町並みを残しているところには、
多くの人が集まるため、
まちにお金が集まってきて、地域によい経済循環をもたらしてくれます。

例えば川越市!

歴史的な町並みがうまく残っており、今でも古い建物を活用して新しい店舗がどんどんとできてきています。

②“快適に暮らせるまち”には、歴史的環境が欠かせない

地域住民にとっても「まちの歴史」は大切!

まちに歴史的建造物が必要なのは、観光客だけのためではありません。

もちろん地域住民にとっても大切です。
いや、うしろこっちの方が重要だと私は考えています。

まちが人々にとって“快適な場所”であるためには、
まちが便利であること以上に、
そこに住む人々が住んでいるまちに誇りを持っていることが重要です。

そのためには、日々の生活の場に対して
「歴史的環境を認識すること」が必要です!

いったい、「歴史的環境を認識する」とはどういうことなのでしょうか!?

  • 昔、この地域に偉い殿様が住んでいて、今のまちの基礎を作りあげた。
  • 戦後に多くの人がこの地域に集まり、働きながらまちが発展してきた。
  • 江戸時代に宿場町として栄えており、いろんな文化がこの地で生まれた。
  • 自分の祖父母がこの地にやってきて、代々この地域の暮らしを守ってきた。

このようなまちの歴史を日々の暮らしのなかで認識することによって、
人は「今自分がここで生きれいられるのは先代たちのおかげなんだな」と感じることができ、それが充実感幸福感に繋がっていきます。

そのため、まちに歴史的建造物がたくさん残っているほうがよいのです!

実際に、歴史を感じることができるまちの住民は、
幸福感が高いといったデータもあります。
歴史的建造物が残るまちほど、市民の「まちへの愛着が強い」ということです。

古い建造物には、まちの歴史を感じることができ、
そこには昔の人の想いが詰まっています。

「昔があって、今や未来がある」そう思えることが、
その地域の住む人にとってとても重要なことなのです。

「地域の文化や歴史的価値を守る」ことは
「住民が誇りを持てるまちづくり」への第一歩です。

ずっとそこにある安心感

変化が早い現代において、
ずっと昔から変わらずにそこにあり続けるものに、安心感を得ることができます。

歴史的なものがたくさん残っており、
日常的に歴史を感じることができる場所には、
人は自然と安心感を覚えたり、安らぎを感じることができるものなのです。

最近ではレトロやアンティークといったものが流行っています。
若者のあいだで、レコードで音楽を聴いたり、銭湯にいったりする人が増えています。

また、古民家を改装したカフェやレストランなども各地で人気を博しています。

歴史的建造物は何十年、または何百年とその地にあるものです。
それはときに人の一生よりも長い年月です。

「いつもそこに行けば、変わらない風景が待っている」

そう思えることで人は、安心感や安らぎを得ることができます!

③日本のまちは「歴史」が残りにくい

日本のまちは、災害に弱い

西洋では古い町並みがたくさん残っているのに、
日本ではあまり見かけないことを、不思議に思ったことはありませんか?

日本の古い建築物は、木造が多火事にとても弱いためです。

一方、西洋の古い建築物はレンガや石を使っているのが一般的で、
レンガや石は火災に強く、また耐用年数も長いため、古い建物が残りやすいのです。

日本は地震が多いため、レンガや石を積み上げてつくる組積造の建築物を建てることがとても難しいのです。

また、木造が密集していた日本のまちでは、第二次世界大戦時の空襲で、多くが焼け野原になってしてしまいました。
そのため、古い町並みが残っているところがまちが少ないです。

さらに、西洋の人と日本の人の価値観の違いもあります。

西洋には古いものを大事にするという文化があり、
“古いものほど価値がある”という考えが一般的です。

一方、日本は“新しいものほど価値がある”と見なされることが多く、
今でもなお各地で再開発が行われ、古い町並みはどんどんとなくなっています。

地域の町並みは、一度失うと取り戻せない

1960年代の開発ブームを受けて、公害をはじめとする環境悪化とともに、
地域固有の町並みが消失してしまうことに危機感を覚えた住民たちが各地に出現しました。

そして、まちの資産を未来に伝える町並み保存の運動が起こり、歴史的景観の保存・保全が様々な形で模索されました。

地域の文化を象徴する景観や町並みは、
一度失うと二度と取り戻すことはできません。

そのため、全国で似通った町並みが出現する中、
まちの個性を取り戻す活動が積極的に行われるようになりました。

歴史があることで、まちの将来を考えることができる

まちを将来を考える時、その指針となるのは「まちの歴史」です。

まちの歴史が無ければ、
どのようなまちにしたらいいのかわからず、
まとまりのない雑多なまちが出来てしまいます。

それは何の特徴もないつまらないまちです。

過去の様々な出来事が積みかなさった歴史的環境の中にあって、
そこに住む人々は現在のまちのありようと将来の方向を考えることができるのです。

歴史的建造物は、活用しながら残していく

では、町並みが現代まで残り、また後世にまで残していくためにはどのようなことが必要なのでしょうか?

古い町並みが残っているところは、古い建物をうまく活用しながら残しています。

例えば、
古民家をレストランに改装したり、
蔵や倉庫を音楽ホールにしたり、
銭湯をビール工房にしたり、
学校を地域の交流施設にしたり・・・

ただ保存をしながら維持していくだけでは、町並みを残していくのはとても大変です。

使いながら古い建物を活かしていき、
そこに人の営みがあってこそ、まちの文化や風景は継承されていくものなのです。

また、他の用途に活用することで、多くの人がその建物を使うようになり、
そこからどのように残していくべきか、皆で考えることができるようになります。

活用せずに保存しようとすると、
その建物は”博物館”のようになったり、
まち全体が”テーマパーク”のようなものとなり、
「張りぼて」のとてもつまらないまちになってしまします。

以前、私がまちづくりに関わっていたある地域の駅前には、
再開発に伴い、時の市長が「南イタリアのような町並みを目指す」と言って、
まちを作り替えたところがありました。

その町並みは何ともチープで残念な仕上がりとなっていました。

まちの景観は、その地域の人の営みや文化と一体のものでなくてはならないのです。

あなたは、自分が住んでいるまちで本当に「やりたいこと」をできていますか?

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