世界の国々では、子どもや若者たちが楽しめたり、暮らしやすいようなまちをつくろうとする動きがありますが、日本のまちづくりはそのような点で大変遅れています。
まず、「子どもには選挙権がない」ため、子どもの声が政治やまちづくりに反映されることはない、ということが挙がられます。
しかし、「子どもに選挙権がない」のは、世界各国どこも同じです。
日本のまちづくりが「子どもたちを無視し続ける」一番大きな理由は、「少子高齢化」と「大人の若者軽視」にあると思われます。
欧米をはじめとしたあらゆる国々では、
「子どもが暮らしやすいまち」=「誰もが暮らしやすいまち」であることに気がついており、まちづくりにおいて大きな変化が起きています。
一方、日本のまちはどんどんと住みにくくなっています。
「子どもが暮らしやすいまち」とは、どのようなまちなのか?
「誰もが暮らしやすいまち」をつくるには、どうしたらいいのか?
今回はそのことを解説していきます。
目次
子どもが暮らしにくい日本のまち
日本のまちのどのようなところが、子どもや若者にとって住みにくいのでしょうか?
理由は主に以下の6つあります!
- 歩きにくい
- 自転車が自由に使えない
- 公共交通機関が不便
- 楽しめる場所が少ない
- 自分の居場所がない
- 自然と触れ合える場所が少ない
①歩きにくい
日本では、18歳になるまで自動車の運転免許を取得することはできません!
したがって、
自動車のためにつくられたまちは、子どもたちにとっては、まったく面白くありません。
それどころか、狭い歩道を歩いているとヒヤヒヤしたり、接触して事故に巻き込まれるなんてこともよく起こります。
そういう事態を回避するために、行政が何をしてきたかというと、自動車を優先して、歩行者に不便を強いることをしています。
これには、自動車にとって「歩行者が邪魔だ」という前提があります。
そして、なにより、日本のまちの多くは歩くのが快適ではありません。
一方、世界各国では、何十年も前から歩行者優先のまちづくりが進められています。
②自転車が自由に使えない
自動車の代わりに、自転車で自由自在に移動ができれば、ずいぶんと楽しいまちになるだろうと思います。
しかし、現実のまちはむしろ、自転車利用を思いとどまらせるようなことばかりしています。
駅に隣接した便利な場所に駐輪場が設置されている場合は少なく、それじゃあと駅前の歩道などに置いておくと、たちまち撤去されてしまいます。
子どもに最も便利な交通手段の自転車なのに、まちではその使い勝手はどんどん悪くする一方です。
世界では自転車を交通手段の主役として考えようとしているまちがある一方で、
日本のまちでは、
自転車は自動車が快適に走行するのを邪魔するもの、
あるいは歩行者に危険を及ぼす悪者、
と捉えられているきらいがあります。
しかし、自転車ほど省エネルギーで快適な乗り物はありません。
③公共交通機関が不便
日本の鉄道は、世界の国々と比べても驚くほど運賃が高いです。
日本は鉄道が充実していますが、昨今の日本の鉄道事情はよくなっていない、いやむしろ悪化しているとも考えられます。
その理由は、自動車優先政策が進められているためです。
そのため、利用者が減り、採算が悪くなったローカル鉄道は廃線になったり、運行本数が減ったり、高額な運賃を請求したりしているのです。
路線図40年でどう変わった? 蔵出し映像でたどる地域の鉄道|地方潮流|NHK
不思議なことに、道路を利用しても料金は特に取られませんが、鉄道を利用すると料金が取られます。
公共交通を移動主体とするまちは、人が住む場所が散らばらずに集積することになります。
これは、まちの活気を維持するためには重要な点です。
そして、なにより、高齢者、子ども、若者、自動車を購入できない貧困層といった、自動車で移動することができない、もしくは難しい人たちの「足」を確保できます。
ヨーロッパやアメリカでは、公共交通は、福祉面、最近では環境面からも社会的に重要な存在であると認識されています。
そのため、公共交通機関にこそ税金が使われいるため、運賃も安く、たとえ赤字路線であっても問題なく運行されています。
このように鉄道や路面電車、そしてバスなどの公共交通は若者の味方です。
その利用が便利であることは、若者の生活を豊かなものにしてくれます。
④楽しめる場所がない
子どもたちが思いっきり楽しめる空間は、あなたが住んでいるまちにはありますか?
若者や子どもが育つのは、家や学校だけではありません。
家と学校の間を埋める膨大な空間でも若者や子どもは育ち、多くのことを学びます。
日本の子どもたちは平均して4~5時間遊びに時間を費やします。
この時間はここ数十年間でほとんど変わっていません。
しかし、外遊びに費やす時間は大幅に減っています。
1955年には子どもたちは外遊びに2.7時間費やしていましたが、最近では1時間よりも少なくなっています。
外遊びの時間の減少は、自動車交通量の増加と関連しています。
なぜなら、自動車交通量が増加したことで、子どもたちの外遊びの場所が自動車によって奪われてしまったからです。
日本の子どもたちは、世界の子どもたちに比べ、遊ぶ場所に恵まれていません。
それは、かつては自由に遊べる空間であった道路が自動車に奪われてしまった一方、それを補完するような遊ぶ場がつくられていないからです。
歩道があるところでも狭いものがほとんどで、歩行者が快適に過ごせる場所ではありません。
海外では、キックボードやローラースケート、スケートボードで歩道を走ってはいる人をよく見かけますが、日本ではほとんどいません。
日本では、歩道という公共空間をスケートボードで走る行為自体が、反社会的に見られたり、実際に反社会的に捉えている住民もいるほどです。
一方、有料で遊べる場所は、日本にもたくさんあります。
遊園地をはじめ、スポーツ施設、職業体験施設、ボーリング場、カラオケ店、ゲームセンター、映画館、マンガ喫茶・・・
最近ではショッピングセンター内で遊ぶ場所を増えています。
しかし、まちの中で子どもが遊べる空間は、基本的に無料であることが必要です。
なぜなら、子どもはもちろん若者もお金をもっていないからです。
お金を親からもらわなくてはならないとなった時点で、もうその空間に主体的に関わることができなくなってしまいます。
⑤自分の居場所がない
「自分の居場所」をつくることも、まちで楽しく過ごすうえでの重要なポイントです。
ここでいう「自分の居場所」とは、
「家でも学校でもなく、誰にも強要させることなく、自分の自発的な意思で、そこに行く、そこにいるような場所」であり、
そのような場所を『サード・プレイス』と呼びます。
サード・プレイスとは、家(ファースト・プレイス)でも、職場や学校(セカンド・プレイス)でもなく、その中間地点にあるような場所です。
なぜ、このサード・プレイスが重要なのか?
それは立場や役割、責任からくる束縛から解放せれて、自分自身を取り戻す機会を提供してくれる場所だからです。
子どもにとっても、このサードプレイスは、家や学校の様々なルールから解放されて、その結果、家族から独立して個人の自我を確立するうえでも重要な役割を果たします。
サード・プレイスを多く提供してくれるのが、よいまちの条件のひとつなのです。
しかし、日本のまちには、子どもたちが自然に集まってきてお互いと出会う場所がほとんどどこにもありません。
普通、まちをつくる場合、若者や子どもがくつろげたり、ちょっと大人の目から逃れたりするようなスペースはつくられることはありません。
これは、そのような場所があったりすると、若者はろくでもないことをするという先入観を持たれているからだと思います。
これは、日本では「大人が若者や子どもを管理するべき」というような発想のもとまちづくりが行われているからでしょう。
しかし、そのような先入観でまちをつくっていくと、子どもや若者を健全に育てる機会までも放棄してしまうことになりかねません。
⑥自然と触れ合える場所が少ない
第二次世界大戦後、まちは「経済を成長させる機械」として、自然との共生を後回しにし、まちの自然的要素をどんどん排除してきました。
その結果、高度経済成長期が終焉を迎えた1970年頃には、日本列島中が公害問題に深刻に悩まされるという事態になっていました。
その後、公害問題は、多少改善したかもしれませんが、依然としてまちからは自然的要素が消滅していく一方です。
人間は生物ですから、絶対的に自然に依存しており、本質的に自然を求めています。
コンクリートが囲まれた都市空間の中に樹木や草花、土そして水があることで、大きな安らぎを覚えます。
しかも、その自然があまり人工的でないことで、より安心するのです。
「子どもたち」が無視される理由
1.深刻な少子高齢化
日本では高齢化が進んでおり、高齢化率はなんと28%(2022年)を上回り、子どもたちを取り巻く状況はさらに悪化しています。
高齢者は圧倒的な多数派であるために、高齢者優先のまちづくりを推進していくと思われ、反対に長期的な視点でまちづくりを考える人は今後ますます少なくなっていきます。
実際に、自然環境、原発、国債など、難しくて複雑な問題に関しては、具体的な解決策が示されないまま、先送りにされています。
それは、人口減少問題も同様です。日本における人口減少問題は、何十年も前から問題視されてきていましたが、具体的な対策が取られないまま現在に至ります。
そして、先送りにされた問題は、子どもたちの世代ではより深刻な問題となって、やってくるのです。
子どもが少ない日本においては、子どもの立場はどんどんと危うい状況になっているのです。
2.子どもにチャンスを与えない大人たち
日本において、子どもや若者を「言うことを聞かない厄介者」「自分たちの理解ができない感性を持っている」などと、ないがしろにしている大人たちは少なくありません。
欧米では子どもや若者たちの新しい感性を取り入れることに積極的であるにも関わらず、我が国では残念ながら、閉鎖的で多様性を排除しようとする大人や組織が多く見られます。
その結果、社会の変化に対応できなくなり、まちづくりにおいても多くの地域が衰退へと進んでいってしまうのです。
子どもや若者には、「アイデア」や「行動力」があります。
しかし、多くの大人たちは「近頃の若いやつは、何を考えているのかわからない」「最近の若者は我慢が足りない」と言って、相手にしようとはしません。
新陳代謝が起きない組織や地域は変化に取り残され、徐々に腐敗している可能性があるにも関わらずです。
3.自動車を最優先するまちづくり
これまで述べてきたとおり、日本では今まで「自動車優先のまちづくり」を推し進めてきました。
それは自動車を運転できない子どもたちにとっては大変不便なもので、まさに“子どもを無視したまちづくり”と言えるでしょう。
さらに、自動車のための道路や駐車場の整備のために、子どもの遊ぶ場所が奪われていき、まちなかの子どもたちは危険にさらされる状況になっています。
近年でも通学途中の子どもたちの列に自動車が突っ込むなどの痛ましい事件のニュースをよく見聞きします。
大人たちは、子どもたちが安全で楽しく暮らせるまちをつくっていく義務があるのです。
4.お金がないと遊べないまち
当然ながら、子どもや若者はお金を持っていません!
そのため、子どもや若者がまちの中で楽しく過ごすためには、無料で遊べる場所が必要なのです。
欧米では無料で遊べるバスケット・コートやフットサル・コート、テニス・コートなどをよく見かけますが、日本ではまちなかにそのような場所を見かけることは少なく、あったとしても有料のスポーツ施設だったりします。
また、無料で遊べる場所の代表例として公園がありますが、日本のまちなかの公園は禁止事項が多く、子どもが自由に思いっきり遊べる場所にはなっていません!
近年、公園内に民間企業がカフェや飲食店、スポーツ施設など、いろんな施設をつくっているケースが見られるようになりました。
これ自体は大変良いことだと思いますが、その中には子どもが遊ぶ施設もあり、遊ぶためにはそれなりの金額を支払う必要があるところがあります。
本来は無料で遊べる公園ですが、その場所が大人の都合で、それ相応のお金を払わないと遊べない場所になっていることは、残念に思うのは私だけではないでしょう。
もはや日本のまちの中は、お金を払わないと「自分の居場所」を確保できないようなことになっています。
それは子どもや若者にとって、とても窮屈で、生きづらいものなのです。
いまや、「子どもの遊び」までもが「商業化」されてしまっているのです。
“ほしいものは自分たちでつくる”という発想の大切さ
このように、今日本のまちは、子どもや若者によってとても残念な状況にあります。
そのことを知って、「こんな状況は良くない!」「何とかしなくては!」と思われる良識ある大人の方や、若い方も多いことだと思います。
決して今の状況を嘆いているだけでは何も変わりません!
いや、むしろ、ほっておくと状況はますます悪化してしまいます。
ここで知っておいてもらいたいことがあります!
実は多くの人があまり気がついていませんが、「まちは消費するだけの場所ではない」ということです。
そして、
「消費だけでは決して幸せになれない」
「お金で幸せが買えるというのは幻想」ということです。
まちは自分たちの可能性を伸ばし、その夢を具体化させる環境を持っているからこそ、魅力を発しているのです。
そして、子どもや若者がチャンスをつかめるようなまちは、おのずと魅力が増していきます。
若者が都市を必要とするように、都市も若者を必要としています。
まちは、人との出会いを促したり、いろいろなチャンスを与えてくれます。
問題を解決するために、
誰か他の人がやってくれるだろうと期待して、自分は放っておくという選択肢もあるかもしれませんが、
自分でどうにかしようと考えて、自ら動き出すという選択肢もあります。
冒頭で述べた通り、若い人には選挙権がありません。
しかし、まちや地域のためにできることはいろいろあります!
自分の人生ですから、自分でその人生の舞台となるまちの環境を改善させたり、もっと面白くするほうが、気持ちいいかもしれません。
地域における「子どもや若者の力」によって、「長期的なまちづくり」が実現できるのです。
あなたは、自分が住んでいるまちで本当に「やりたいこと」をできていますか?
↓↓↓やりたいことを実現させる具体的な方法は以下↓↓↓
いったい、どうしてそのようなことになるのでしょうか?